ラベンダーピットビズビー

寒くなってきたので、急に冬支度を始めています。薪を売る人が増え、石炭を売る人も見かけます。石炭ストーブを使っている家庭もまだ多いです。

さて、今日はいつも人気のビズビーの話。

アリゾナ州の南東、メキシコとの国境に近い町、ビズビー。そう、ビズビーって町そのものの名前です。

1880年から、銅、銀、金の鉱山として栄えた町。

コッパークイーンマインと呼ばれた銅山の中心の町として栄えてきました。1910年代には第一次世界大戦のために銅を大量に供給したとして知られています。

その時に採掘する方法として使われたのが「オープンピット」という採掘方法で、それにより大量の銅を採掘できるようになりました。ビズビー鉱山と言えば、オープンピットというイメージです。日本語では、露天掘りと訳されます。

 

その中でもラベンダーピットという名前で有名なこのオープンピット。このオープンピットの計画を実行したフェルプスドッジコーポレーションという会社のジェネラルマネージャー、ハリソンM.ラベンダー(1890–1952)にちなんで名付けられました。

以下は英語版ウィキペディアを訳したもの。・・・・・・・・

フェルプスドッジコーポレーションは、1950年にサクラメントヒル鉱山の跡地にラベンダーピットをオープンしました。 1974年までの生産量は合計で8,600万トンの鉱石で、平均して約0.7%の銅、約60万トンの銅が産出され、副産物として金と銀が含まれていました。約2億5600万トンの廃棄物が除去されましたが、その一部は追加の銅のために酸浸出されました。

ターコイズもこの採掘活動の副産物でした。ビスビーターコイズは、ビスビーブルーとも呼ばれ、世界で最も美しいターコイズの1つです。このピットでの採掘作業は1974年に終了しました。ラベンダーピットのすぐ北にある未開発のコチス鉱床には、0.4%の酸溶解性銅を含む推定1億9000万トンの岩が含まれています。

このピットは300エーカー(1.2km²)の面積をカバーし、深さは900フィート(274 m)です。

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ビズビーの町が鉱山として一番活発だったのは1960年代。その頃には町の人口は1万人弱いましたが、現在では5000人ほど。ラベンダーピットが停止したのは1974年で、コッパークイーンマイン自体が停止したのは1975年です。

表情が特徴的なビズビーターコイズはインディアンジュエリーでも多くのファンがいます。もう公的には採掘がされることはないビズビーは、年々どんどんと値段が上がり、見かけることもとても少なくなっています。

鉱山自体は閉鎖しているので、1975年以降新しく採掘されたビズビーというのは存在し得ないのですが、廃棄物として山になっている場所に不法侵入してターコイズを探すとか、鉱山関係者の許可を得てターコイズを探すとか、そういう形で市場に出ることはまだ稀にあるそうです。

その中で、このラベンダーピットの副産物として売られていたビズビーは、ラベンダーピットビズビーと呼ばれています。もちろんそれがラベンダーピットから出たというのを知る人しかその名前を付けることができませんし、その当時はラベンダーピットから出たかどうかなんて大して重要ではなかったと思うので、これがラベンダーピット!と言えるビズビーは非常に少ないです。

去年そのラベンダーピットビズビーを少し手に入れることができたので、それを使って作品を作ってもらいました。

見た目は普通のビズビーと変わりませんが、個人的な感想としてはどことなくビンテージ感があるという感想です。

インディアンジュエリーの手法としても古い手法であるトゥファキャストで、シンプルに。石の表面には穴や少しラインがありますが、それも60年代、70年代の風景を想像すると趣すら感じます。