アーティストインタビュー アーノルドグッドラックその2

 

前回の記事はこちら。

アーティストインタビュー アーノルドグッドラックその1

 

アーノルド:経験でスタンプはちょうどいいデザインが出来上がると思うんだけど、妻はすべて線を引いて、どこに何を打つかを決めないとできない。「適当に」感性に任せてスタンプを打っていくというのは経験がないとできないと思う。

アメ駐:なるほど、アーノルドは地元の学校の役員もずっとやられていますけど、昔と今を比べてナバホ族の文化についてどう変化したと思いますか?

アーノルド:僕たちが子供のころはいろいろなルールがあいまいで、とてもワイルドだったよ。祖母が道端に露店を出してそこでハンドメイドのナバホラグを売っていたんだけど、その時「ちょっと店番してくれ」って頼まれて一人でよく店番をしていた。7歳のときだったかな。

これは今は笑い話で、祖母のラグを50ドルで売るはずだったんだけど、長距離トラックの運転手が「亀二匹と交換してくれ」って言われて子供の僕は50ドルよりも亀二匹のほうが嬉しかったから、交換してラグをあげたんだ。祖母には恐ろしく叱られたけどね。

こういうワイルドな出来事がたくさんあったけど、子供のころ良い所も悪い所も見てきたから今思うとそれがすべて学びになって今につながっていると思う。

昔は本当に嫌だったけど、羊を売りに行ったり、牛を売りに行ったり、羊の毛を飼ったり今でいう肉体労働を子供のころからたくさんしていて、その中で学んだことはたくさんあるしとてもそのことに感謝している。

学校の会議に参加していると、みんな「学校教育がすべて」という風に思っているけど、実際はそうじゃなくて経験してきたことすべてが学びになると思うよ。

アメ駐:すごい、まさにそうですね。その中でどう工夫していくかというのを学ぶのがまさに実践的な勉強ですね。

いつもショーの出展などで忙しいアーノルドですけど、家畜の世話って本当に大変ですよね、それでも続けるのはどうしてですか?

アーノルド:うーん、あまり深く考えたことはないけど、そういう風に育てられたからだね。僕も妻の家族もみんな羊持ちの家庭で育って、妻の祖父は羊を600頭も飼っていた時もある。羊の数は地位を表すし、羊といろいろなものがトレードできるからね。

アメ駐:どこかで商売人の地が流れているんですね。

アーノルド:僕が最初にお金を稼いだのは5歳ごろなんだ。その祖母の店番をさせられているときに、化石化した木(ペトリファイドウッド)を一個25セントで売ったら売れて、その次の週に箱いっぱいに集めて、また売った。

アメ駐:完全に商売人ですね笑

アーノルド:その時はいとこが隣で同じ商売をし始めてすぐにやめたけどね笑

自分で作り出したものを売ったり、自分が発見したものを売ったりしてお客さんが喜んでくれるというのが一番の経験で、それは今も変わっていないし僕の人生はそれがすべてかな。

最初は興味のない所から始まるんだよ、何事も。それを一生懸命経験していくことと勉強して上達していくことから身になっていくんだ。

娘たちは僕のシルバースミスとしての仕事に全然昔は興味がなかったけど、今は自分でジュエリーを作ることにとても興味を持っている。

今後もグッドラックジュエリーとして続いていけるような父でありたいと思うよ。

アメ駐:感激です。アーノルドのスピリット部分が少しわかったような気がします。本当にありがとうございました!

アーノルドグッドラックは、「グッドラックジュエリー」としてネイティブアメリカンのジュエリーショーだけではなく、ウェスタンやファッションなどのいわゆる「白人さんのショー」というイベントにも参加して、自分たちがハンドメイドで作るジュエリーの良さをお客様に直接伝えるということを積極的に行っている数少ないシルバースミスです。毎週のように様々なイベントに出展し、本当にみんな働き者のグッドラック家。

アーノルドのジュエリーはこちらから。

アーティストインタビュー アーノルドグッドラックその1

今回はアーノルドグッドラックのインタビューをお届けします。

あまり知られていないのですが、彼の曽祖父にあたるHosteen Goodluck(ハスティーングッドラック)は1920年代のインディアンジュエリーが作り始められた時代の非常に有名なシルバースミスでした。

ハスティーンは1920年代から40年代ごろ有名なトレーダーの下で働き、彼のコンチョベルトやスクオッシュブロッサムは博物館や有名コレクターに納められるジュエリーとなっています。

 

アメリカ駐在(アメ駐):アーノルドは元々はどうやってジュエリーづくりをすることになったんですか?

アーノルド:父のテディグッドラックのジュエリーづくりを小さいころから手伝っていたよ。1970年代ごろかな。でも学校に行き、大学まで行けることができたからそれまではずっとやっていなかったんだ。大学で出会った今の妻と結婚するんだけど、1980年代の後半に妻がまたジュエリーを作り始めたんだ。

アメ駐:そうなんですね、じゃあ元々はジュエリー作家になる予定じゃなかったんですか?

アーノルド:うん、家畜の病気のケアや世話の専門家になる予定だったんだよ。まぁ今もその知識は牛や羊に使っているけど、ジュエリーを本業にするとはその時は思っていなかったかな。

アメ駐:なるほど、曽祖父のHosteen Goodluckが有名だったのはその時知っていましたか?

アーノルド:あまり知らなかったね。ジュエリーを売るようになってコレクターの人に「グッドラックということはハスティーンと関係があるの?」と聞かれて、そんなに有名だったことを知ったんだ。

彼のジュエリーは、羊の世話を手伝ってくれた支払いの代わりにその従業員に送られたりしていたようで、実際に商品としてたくさん売られていたわけじゃないんだ。

その時代は刻印が使われていなくてシルバースミスもとても少ない時代だったから、作品の鑑定というか、それがハスティーンのものかどうか聞かれることも今ではよくあるよ。

アメ駐:最初アーノルドと奥さんがジュエリーを作り始めた時のスタイルというのはどんな感じだったんですか?

アーノルド:父のテディはシャドーボックスのスタイルでとても知られていたから、シャドーボックスのスタイルを作りそれを一つのトレーダーにずっと売っていたんだ。

アーノルド:でもその会社が急に倒産してしまって、自分たちでショーに出ていろいろな人に売るようになってから今のスタンプワークや動物モチーフ、伝統的なスタイルのものを要望に応じて作り始めたのがきっかけかな。

アメ駐:なるほど、だからこんなにいろいろなスタイルが作れるんですね。

アーノルド:最初はシャドーボックスしか作れなかったけど、お客さんの要望に応えるために道具をそろえて、やってみて、磨いていく、それを繰り返したからかな。それしか上達の道はないよ。実はジュエリーを作り出した妻は、スタンプはできないんだ。

 

次回につづく。

アーノルドグッドラックのジュエリーはこちらから。

 

Gary & Elsie Yoyokie

マライカでも人気のホピ族の作家、ゲーリー&エルシーヨヨキ。

極細の糸ノコを用いて繊細にカットされるデザインは、まさに芸術品です。
サンフェイスをはじめ、鳥や蝶などの動植物が描かれる多彩な作風は多くの方に愛されています。
また、ポップで可愛らしいモチーフも人気の秘訣です。

そんな多彩なヨヨキ夫妻が好んで描くモチーフは、いったいなんだと思いますか?
それは…

「水」 のモチーフです。

花と水のデザインのオーバーレイバングル

その理由は、「Yoyokie(ヨヨキ)には、ホピの言葉で「雨」という意味があるんだよ」と、エルシーヨヨキさんにお伺いしました。

そのため、水をはじめとする雨や雲、嵐のモチーフも多く描かれています。

ホピ族のジュエリーでも「水」をイメージしたデザインをよく見かけます。
自分の名前に誇りを持ち文化をジュエリーに落とし込んでいく。
そんな姿勢がジュエリーを通して伝わり、その魅力に心奪われてホピ族のジュエリーの中でも人気が高いのではないかと思います。

新入荷続々、

長いゴールデンウィークが終わりましたね!時代は令和。

しかしアメリカは何も変わらない毎日が流れております。

 

オンラインショップも今週から復活!

続々と新入荷が入っていますのでぜひご覧ください。

ジェニファーカーティスのリングが再入荷しています。

 

ズニものも密かに少しずつ増やしています。

今まであまり注目することがなかったズニものですが、本当にたくさんのバリエーションがあってみているだけでも楽しいです。

そしてこちらはハリソンジムの新作。

チゼルのサンバーストデザインでシンプルに仕上げた作品。

このシリーズはとても人気があります。

 

 

 

新入荷、ペリーショーティのバングルとリング

ゴールデンウィーク、皆様いかがお過ごしでしょうか?

長い連休ですね。この機会にぜひ店頭でインディアンジュエリーを実際に手に取り身に着けてみてください。

マライカ各店、皆様のご来店をお待ちしております!

(ちなみにオンラインショップはお休みとなりますのでご了承ください。)

皆様お待ちかね。ペリーショーティのコインシルバーリングが入荷しています。

何点かリングは入荷しているのですが、入荷と同時に売り切れが続いていますのでどうぞお早めに。

 

 

さらにこちらは細身のコインシルバーバングルです。

細身のシンプルなスタンプワークのものをずっとお願いしていて、ようやく実現に至りました。

こちらはジェニファーカーティスの一風変わった、重厚感のあるとてもスタイリッシュなデザイン。

まだオンラインショップに掲載されていない新入荷のジュエリーが、実店舗にはたくさんございます。

ネットで見るのと実際に着けてみるのでは触感が違ってよかったというお客様もたくさんいらっしゃいますので、ぜひ実店舗で試着してみてくださいね!

 

※GW期間休業のお知らせ

いつもマライカオンラインショップをご利用頂きありがとうございます。

GW期間中は4/27(土)より5/6(月)までお休みを頂きます。

4/26(金)13時以降のご注文並びに17時以降のお問い合わせにつきましては、GW明け5/7(火)より順次発送・対応させて頂きます。

連休明けのご注文状況によりましては日時指定を頂いた場合でもご希望に添えない場合がございます。
また、休業期間中のメールでのお問い合わせにつきましてもご返信までにお時間を頂く場合がございますので予めご了承ください。

ご迷惑をお掛け致しますが何卒ご理解くださいますようよろしくお願い申し上げます。

訃報

突然の訃報です。

ノーバートペシュラカイの娘でありアーティスト、ナターシャペシュラカイが急逝されました。

半年ほど闘病をしながら、退院している際には少しずつジュエリーを製作し続けていました。

残念という言葉以外出てきません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

アーティストインタビュー スティーブアルビソ 考え方編

アーティストインタビュー続編

前回の記事はこちらから。

アーティストインタビュー スティーブアルビソ ジュエリー編

アメ駐:デモンストレーションなどで日本に行って、たくさんの日本人と知り合って、率直に、日本人のことをどう思いますか?

スティーブ:僕はアメリカの外には日本にしか行ったことがないから比較しようがないんだけど、とても勤勉でよく働いて、ものの本質を見る人が多いなと思うよ。

アメ駐:なるほど、じゃあナバホ族の人についてはどう思いますか

スティーブ:・・・・それはすごく難しい質問だね。ちょっと時間がほしいなぁ。僕はコミュニティの村長をやっていて、ナバホの政府の仕事もしたことがあるからすごくそれの返答は難しいね。。。。

やっぱり、怠惰だっていうのはあるね。それは日本人とたくさん出会っているから比較できるんだけど。

あとは言い方が難しいけど、「現実から取り残されている感じ」はあるかな。歴史的に見ても、ナバホ族というのは本当に賢くて強い部族なんだ。でもそれを活かせていない。頭のいい人たちは都会に出て行ってしまって、リザベーションに戻ってこない。もちろんそれは歴史的な問題だけどね。

アメ駐:それはきっとどこの国にも言えることでしょうね。

スティーブ:ジュエリーもそうだけど、「伝統を守ること」をずっと続けてきたから、外部との接触とかそれを盗まれるや公開することにすごく敏感で新しいことがなかなか受け入れられないんだ。

アメ駐:そうなんですね。ソーシャルメディアも今は持っているアーティストが増えましたけど、それについてはどうですか?スティーブも最近インスタグラムを始めたんですよね。

スティーブ:まだ抵抗があるし、僕ら世代の人々にはやっぱりいいイメージというのはない人が多いと思うんだけどね。昔はみんな貧乏で、みんなお金がない、お金持ちは白人だけという社会だったから、同じ部族の中で格差ができるとすぐに妬みになる。自分は村長という立場でもあるし、公に出ることというのはとても勇気がいることなんだ。でもアーティストとしてそういう社会を変えていくべきだとも思っている。

アメ駐:伝わらないともったいないと私も思います。スティーブは仕事ということ対してどう思ってますか?スティーブにとっての仕事とは?

スティーブ:僕にとっての仕事ね。(しばらく考えて)これは今の意見でいいの?年代と環境によって全然変わってくるからね。若い時はお金ありきだったけど。。。。

アメ駐:今の考えで大丈夫です。

スティーブ:仕事とは、一言で言うなら「家族の生活をよくするもの」だね。

僕にとっての一番の仕事は、雪かきをしたり、雨で流された土を埋め立てたり、家の周りを過ごしやすいようにきれいにすること。

次は、馬に牧草をあげて、馬の様子をチェックすること。

そして、子供たちや家族に必要なものをそろえること。

そのためにお金が必要なのであれば、そのためのお金を準備するためにジュエリーを売る必要がある。

アメ駐:アーロンアンダーソンのインタビューでも同じような答えが出てきました。子供たちが卒業したらジュエリーは作らないかもって言ってましたよ。

スティーブ:そうなんだ、でもきっとアーロンは作り続けるだろうね(笑) 

例えば人生に満足してしまったら仕事なんてする必要ないんだよ。だから、仕事をしているということは何か改善したいと思っていることがあるということ。経済面でも、生活の面でもいいけど、だから人間は一生満足しちゃいけないんだと思うよ。

アメ駐:なんだかかなり深い話になってきましたね。大切にしている人生の教訓はありますか?

スティーブ:教訓ね。自分の信念というのは言葉にするのは難しいけど、僕は甥っ子が多いから、彼らにはいつも「Don’t do anything in half ass」っていうのはよく言うね。

アメ駐:直訳すると、「何事も半ケツでやるな(笑)」

つまり中途半端にやるなってことでしょうか。

スティーブ:そう、何事も、やるなら全力できっちりとやる。中途半端にやるくらいなら、やらない。

例えば馬の世話。昨日甥っ子に、馬に水をあげてって言ったら、汚い水がまだ入ったドラム缶にきれいな水を入れるんだ。そんな中途半端なことをするんだったら、やらない方がいいって怒ったばっかりだよ。

アメ駐:そのスピリットはスティーブのジュエリーにも表れてますね。

本当に興味深いお話、ありがとうございました!!

 

スティーブアルビソのジュエリーは見れば見るほど繊細で丁寧な仕事だと感心します。スピリットやこだわりを聞くと、作品を見る目が全く変わってきます。

 

 

 

アーティストインタビュー スティーブアルビソ ジュエリー編

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さて今回はスティーブアルビソのインタビューを製作風景と共にお届けします。

アメリカ駐在(アメ駐):スティーブさんはコミュニティの村長をやっていますよね?

色々とナバホ族の根本的な考え方というのも聞きたいのですが、まず初めにスティーブはいつからジュエリーを作り始めたんですか?

スティーブ:高校を中退して軍隊に入って、帰ってきて2年してからだから1986年かな。姉がジュエリーを作ってたから、それを手伝い始めたのが始まりなんだ。

アメ駐:そうなんですね、スティーブはサンシャインリーブスから紹介してもらったし二人はかなり仲がいいですけど、もともとサンシャインリーブスとは知り合いだったんですか?

スティーブ:サンシャインは1985年とか84年から知っているよ。二人ともジュエリーを作り始める前。お互いに木材の運搬をするトラック運転手の仕事をしていてそこで知り合ったんだ。

アメ駐:そんな古い知り合いだったんですね!

スティーブ:そうだね。そこからお互いにシルバースミスになって、僕はトレーディングポストにワイヤーワークとかスタンプワークを使ったジュエリーを大量に作って売っていた。若かったしね、一日100個とか200個とか作ってたよ。

サンシャインもそうだし、ゲーリーとかダレルキャドマンもみんなが働くスタジオが近くにあったから、よく遊びに行ってサンシャインと一緒によくパーティしたよ(笑)

アメ駐:そこでハリーモーガンとも出会うんですよね。

スティーブ:そうだね。1992年ごろかな。自分のジュエリーの経歴はすでにあったんだけど、今の自分のスタイルの根本はすべてハリーモーガンから来ている。

アメ駐:ハリーモーガンの教えはどういったものがありましたか?

スティーブ:「見て学ぶ」というのは結構知られているストーリーだよね。言葉で教わることはあまりなかった。ハリーは本当に細かいところに気を配る人だった。サンシャインと一緒にスタジオに行くと、いつも仕上げのやすりを時間をかけてやっていたから、一回いたずらでハリーがいつも使うやすりを隠して困らせたことがあるぐらいだよ。僕が細かいところに気を配るようになったのは、そのハリーの姿勢を受け継いでいるからだね。他の人が気にしない少しのゆがみとかが気になってしょうがないんだ。

アメ駐:なるほどそうだったんですね。具体的にハリーモーガンから学んだことでスタイルはかなり変わったんですか?

スティーブ:昔は銀が今の3分の1ぐらいの値段だったから、安いジュエリーもたくさん作れた。ハンドメイドでも大量にたくさん作れる、そういうジュエリーを自分は作っていたけど、ハリーは2000年までに自分のアーティストとしての名前をちゃんと確立しなさいと言ってくれた。もしかしたら銀の価格が上がることを見越していたのかもしれないし、市場がこうやって変わることが分かっていたのかもしれない。そのおかげで、大量生産のたくさん作るジュエリーから1点もののジュエリー、ターコイズにこだわっているオールドスタイルという今のジュエリーのスタイルになった。

アメ駐:そうなんですか、すごいですね。以前日本で電車に乗ってるときにこの人ハリーモーガンみたいって言ってましたよね(笑) 私も会ってみたかったなぁ。

他に、自分のジュエリーについて大切にしていることはありますか?

スティーブ:ハリーはとても腕が良くて本当にいい仕事をするんだけど、いいターコイズを使わなかった。それを僕はすごく疑問に思っていたんだ。だから僕はターコイズにはこだわっている。

おかげでインディアンマーケットでは、いつもお客さんにここに行けば本当にいいターコイズに会えるから毎年来ると言ってもらえるようになった。

アメ駐:ターコイズの値段が上がっていく中でハイグレードターコイズを使い続けるのは大変ですよね?

スティーブ:そうだね、値段はどうしても高くなってしまう。でも「質」は大事だよ。レストランでもなんでも、質がよければ自然にお客さんが来るし、ジュエリーも一緒で質が良ければ必ず見てくれる人がいる。

アメ駐:なるほど、ではスティーブの尊敬する作家は?

スティーブ:「自分が一番だからいない!」・・・というのは冗談で、技術を習ったという点ではハリーモーガンだね。でもアーティストそれぞれ得意な分野があるからたくさんのアーティストを尊敬しているし、人に対して尊敬の念を持つっていうことは大事だよ。

アメ駐:なるほど、ジュエリーづくりで大切にしている思想みたいなものはありますか?

スティーブ:うーん、「自分が満足する作品でなければ世に出さない」ということかな。自分が売りたくないって思うほどに満足した作品を作れた瞬間っていうのがアーティストであることの醍醐味だと思うんだ。自分が少しでも気になる所があったら、それは僕の名前で売ることに抵抗があるから誰が何と言おうとその商品は売らない。

アメ駐:これでもいいかなというレベルでは売り物にはできないということですね。

 

次回へ続く。

スティーブアルビソの作品はこちらから。

アーティストインタビュー カルヴィンロバト スピリット編

アーティストインタビュー カルヴィンロバト 歴史編

↑前編はこちらです。

 

アメ駐:ヒシのジュエリーというのは伝統的な細工でたくさんの作家がいるけれど、カルヴィンはそういう意味では自分自身のジュエリーについてどう思いますか?

カルヴィン:ショーに出したりして、売れないときもオーダーが少ない時もあるけれど、僕のジュエリーが他の人と違うとすれば、それはすべて商品に現れていると思う。

アメ駐:どういう意味?

カルヴィン:僕は最低限の材料の説明はするけど、他の人と比べてここはこんな風にこだわっているとか、そういったことはなるべく言わないようにしている。それは商品を見ればわかると思うし、他の人を批判したりすることになるからね。作家どうしはけなし合うのではなく、褒め合いたいから

技術的に言うなら、たくさんの色々な素材を使っているというところかな。新しい素材を試すのは楽しいし、デザインするピーラーの腕がいいからね(笑)

アメ駐:私からすると、カルヴィンは「ジュエリーを商品というよりも道具としてみている」ような感じがします。

カルヴィン:そう、僕の作品は、「神様の祝福や幸運を運ぶ道具」なんだよ。僕の刻印は四角のメロンシェル。四角は、ネイティブアメリカンにとっての神聖な4つの方向を表しているから、これは僕の作品から絶対に外せないものなんだ。一回、何が目的かはわからないけどその刻印を外してくれと言われたことがある。その人とは僕はビジネスをしないけど、その時目先のお金だけを目的としていたら何も考えずに刻印を外して売っているだろうね。

売る前に祭壇にすべての商品を置いて、祈りをささげる。この商品たちには、「目に見えない神様からの祝福」がのっている。僕は商品としてそれを届けているだけなんだ。

 

アメ駐:なるほど、だから多くを語らなくても「商品が語りかける」っていつも言うんですね。

カルヴィン:そうだね、作り始めるときも一緒で、「日本に行きたいのは誰かな?」なんて素材に話しかけるときもあるよ。(笑)

アメ駐:あと聞きたかったことは、「伝統工芸品」ということについて。若い人たちはこういった時間がかかる手作業の工芸品というのをやりたがらないですよね?そのことについてはどう思いますか?

カルヴィン:うーん、コンピューターでデザインして、コンピューターが作ったヒシっていうのもあるけど、、、、。歴史的に見れば、ヒシネックレスを作る過程というのも昔より格段に進化している。

昔は木の道具を使って穴をあけて、磨きも革を使ってひたすら磨いていた。

↑昔使っていた道具。

 

ぼくの意見としては、ただテクノロジーが変えているだけで、それは若者が「新しいアートワークを見つけ出した」だけだと思うよ。

アメ駐:なるほど。

カルヴィン:ういう形であれ、僕は新しいアーティストをいつも励ましている。飛行機と同じように、離陸の時が一番大変で一番エネルギーがいるんだ。一回飛び立ったら後はメンテナンスをしていけばいいんだからね。色々なスタイルがあって一人ひとり違うスタイルを持っているから、どんな始まりでもいいんだよ。僕も最初は本当に大変だった。一つ一つ解決していかなきゃいけないから。

アメ駐:どういうところが一番大変でしたか?

カルヴィン:僕のネックレスは、他の人のヒシネックレスより高い。だから売っているときに、「あなたのは300ドルだけどそこの人のは80ドルだから80ドルにして?」って言われたりするよ。そのときは「そこの人の所で3本買ったら僕のと同じ価値になるよ」って言ったけど(笑)

そういう風に、「自分の価値を分かってもらえない人には売らない」と決めるところが大変だったかな。それは前の「商品が語る」というところにつながってくるけど、質は絶対に落とさないで、技術を向上させているなら値段は下げられないからね。

アメ駐:なるほどー。カルヴィンの話は本当にいつも心に響きます。

カルヴィン:そうそう、心がクリーンじゃないといいジュエリーは作れないんだよ。

だからいつも勤めてHappyになっている。ジュエリーが心を移すんだ。いつもHappyで、自分がやっていることを心から好きじゃなければいけない。

心が曇っていたり、他人と比べていたりしていたら、それが出来上がったジュエリーに出るんだよ。

アメ駐:そうなんですか、仕事と生活がそういう部分で直結してくるんですね。

本当に深い、ためになる、心が洗われる話でした。本当にありがとうございました!

カルヴィン:じゃあご飯を食べよう!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもいつも、ご飯を作って待っていてくれる優しいロバト家。

「ジュエリーが心を移す」

本当にステキな言葉です。

技術や仕上げの細かさも、カルヴィンロバトの本当にすごいと思うところ。彼の作品には技術だけではなく、こういった信仰や思いがジュエリーに込められています。

カルヴィンの作品はこちらから。

アーティストインタビュー カルヴィンロバト 歴史編

先日の記事に続き、マライカでもたくさんの特集をさせていただいていて個人的にもとても仲良くしていただいている、サントドミンゴ族のカルヴィンロバトに、彼の作業場にてインタビューをしてきました。

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カルヴィンロバト(以下カルヴィン):何から話そうか?

アメリカ駐在(以下アメ駐):カルヴィンにはたくさん聞きたいことがあります!(カルヴィンはサントドミンゴ族の政府の仕事をしていたことがあり、思想的なことも聞きたいと思っていました。)

まず、「ヒシ」というのは何かについて聞きたいです。

(↑カルヴィンのヒシネックレス)

カルヴィン:ヒシっていう言葉は、もともと貝の名前のことなんだよ。そこから、貝殻や石を使った「削り」の仕事というもの自体が「ヒシ」と呼ばれるようになったんだ。

 

アメ駐:そうなんですか!知らなかった。

カルヴィン:シルバーワークでも、「スタンプワーク」「オーバーレイ」と別れているのと同じで、シェルを使った伝統的な仕事でも、「モザイク」「ヒシ」という風に製法としてその言葉が使われるようになったんだよ。

アメ駐:貝を使った伝統的なジュエリーというのは歴史的にありますよね。

カルヴィン:そうだね、ネイティブアメリカンが先祖とするアナサジ族の遺跡から貝とターコイズのジュエリーがたくさん見つかっている

今ではメキシコの領土となったメキシコのネイティブの人々が貝殻をもってきて、今ではアメリカの領土となったニューメキシコやアリゾナのネイティブの人たちとターコイズや羽根と交換していたという証拠が遺跡から出てるんだよ。だから貝殻のジュエリーの歴史というのはとても古いんだ。アナサジ族がいたのは西暦で言うと850年から1250年ごろと言われている。

 

アメ駐:そうなんですね。それでもモザイクやヒシのジュエリーで知られているのはサントドミンゴ族だけですよね?他の部族の人々もみんな貝のジュエリーというのは儀式で使うものなのに伝統的に作られているのはサントドミンゴ族だけ、というのが前からとても疑問だったんですけど、どうしてなんでしょうか?

カルヴィン:クリエイター(創始者)がそういう風にそれぞれの部族の役割を決めたからだよ。

「ナバホ族だったら、シルバー細工」「へメスだったら、壺」「ホピだったら、カチナとバスケット」「ズニだったらインレイジュエリー」

こういう風に、クリエイターが決めてそれぞれに役割を与えたんだ。今では部族間の交流がたくさんあるけど、昔はその工芸品や作品をトレードすることで交流をしていた。だから今でも部族間でのトレードというのが行われるようになっているんだ。

アメ駐:それはとてもとても深い話ですね。でもそういう風に考えたらつじつまが合うような気もします。

カルヴィン:そうだね、僕たちはそう信じているんだ。

アメ駐:もともとカルヴィンがジュエリーを始めるきっかけというのは何だったんですか?

カルヴィン:お父さんの手伝いを中学生の時からしていたからね、その時からずっと、それでお金を稼いで、いつも働いているよ。

アメ駐:そうなんですね。

カルヴィン:父が亡くなったとき、父が持っていた工芸品やジュエリーを親族が譲ってもらいに列を作って来た。僕はただ一つ、父の弓矢をもらった。弓矢は「サイレントウェポン」静かな武器で、それがいつも僕を守ってくれているんだ。

父の手伝いをしていたから、僕はいつもお小遣いをもらっていて、少しだけお金があった。それで今の妻ピーラーを射止めることができたんだ! 結婚してみたらそんなにお金がなかったって言われるけどね(笑)

 

アメ駐:いつも共同作業で、仲がいいですよね。

カルヴィン:すべての始まりは女性からだからね、女性を敬うことは大切だよ。ピーラーはデザインも勉強していたから、色の配色や新しいデザインはピーラーが考えることが多いよ。

続く。。。。

カルヴィンロバトの作品はこちら

 

 

Aaron Anderson アーティストインタビュー