先日ズニで大きなパレードがあったので、遊びに行ってきました。
道路を封鎖してカチナに扮した村人がいくつかのグループに分かれて各々のダンスをしていました。
カメラ撮影OKで一般公開されたものだったので、本来のカチナダンスとは違いますが、装いは本格的で充分に楽しめました。
こちらがその様子!各グループ、トロフィーを狙って一生懸命です。
さて、せっかくズニを訪れたので、ズニの友人に会ってズニの歴史について少し勉強しました。
本格的に話せば10何時間にも及ぶズニの歴史、冬の寒い時期のみ話す事が許されているそうです。おそらくそれは春夏秋はそれぞれ農作業などやる事が多く、また冬の間は寒さが厳しく室内にこもり、時間があるかららしいのですが、一言、冬以外に話すのはアンラッキーを呼ぶとされています。
今回は入門編として非常に簡単に、分かりやすく説明してもらいました。
元々ズニの祖先は4つのあるといわれる世界の最も暗い世界で暮らしていました。
それが、”ファーザーサン”の導きによって、地中深くから、幾つもの世界を通って光のある世界を目指し、たどりついたそうです。
やがて光のある世界でズニの人々は大きく3つのグループに別れました。それぞれ別の方角に向かって、一つはメディスンを学びぶ為に、もう二つは手にした恵み(黒い鳥とカラフルな鳥)の導く方向へと歩みだしました。そこで各々の文化を育くんだそうです。
現在もそのストーリーの語るとおり、アメリカにはズニの人々が辿った跡が各地に残っています。
また、ズニ村は乾いたニューメキシコの大地にありながら、今も豊かな泉がいくつかあり、人々の飲み水、そして生活用水として生活を支えています。その泉にもストーリーがあります。モチーフでお馴染みの蛙やおたまじゃくしは、3つに分かれたうちの一つのグループの子供達なんだそうです。泉を渡ろうとした母の手をすり抜けた子供達が、泉で遊んでいるうちにそれぞれいろんな生き物に変化したものだと信じられています。
こちらはズニの豊かな水源でもある湖です↓
また、世界の中心を求め分かれたグループが再会した時に、クラウン(氏族)がファミリーごとに名づけられたり、キバと呼ばれるグループが登場しました。
キバにはそれぞれの教えがあり、現在も厳しいシークレットに守られ、存在しています。ズニの人でも簡単に立ち入る事の出来ない領域であり、キバの存在するオールドタウンは今も言語はズニ語のみで、それ以外の言語で話す事を禁止されています。
このような話は私たちにとって、とても興味深いものでした。
なぜ、Don Dewaの作品のようにサンフェイスがインレイのモチーフに使われているのか、そしてこの乾いた大地なのになぜ蛙やおたまじゃくしのモチーフが存在するのか、いままで抱いていた疑問が、ほんの一部ですが、ズニのストーリーを聞くことによって理解できたのは貴重な時間でした。
ズニでは、学校の教育の中にズニの歴史を学ぶ時間があるそうです。そこで子供達は自分のルーツを理解したり、伝統的なポタリー作りを学んだりしているそうです。