アーティストインタビュー カルヴィンロバト 歴史編

先日の記事に続き、マライカでもたくさんの特集をさせていただいていて個人的にもとても仲良くしていただいている、サントドミンゴ族のカルヴィンロバトに、彼の作業場にてインタビューをしてきました。

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カルヴィンロバト(以下カルヴィン):何から話そうか?

アメリカ駐在(以下アメ駐):カルヴィンにはたくさん聞きたいことがあります!(カルヴィンはサントドミンゴ族の政府の仕事をしていたことがあり、思想的なことも聞きたいと思っていました。)

まず、「ヒシ」というのは何かについて聞きたいです。

(↑カルヴィンのヒシネックレス)

カルヴィン:ヒシっていう言葉は、もともと貝の名前のことなんだよ。そこから、貝殻や石を使った「削り」の仕事というもの自体が「ヒシ」と呼ばれるようになったんだ。

 

アメ駐:そうなんですか!知らなかった。

カルヴィン:シルバーワークでも、「スタンプワーク」「オーバーレイ」と別れているのと同じで、シェルを使った伝統的な仕事でも、「モザイク」「ヒシ」という風に製法としてその言葉が使われるようになったんだよ。

アメ駐:貝を使った伝統的なジュエリーというのは歴史的にありますよね。

カルヴィン:そうだね、ネイティブアメリカンが先祖とするアナサジ族の遺跡から貝とターコイズのジュエリーがたくさん見つかっている

今ではメキシコの領土となったメキシコのネイティブの人々が貝殻をもってきて、今ではアメリカの領土となったニューメキシコやアリゾナのネイティブの人たちとターコイズや羽根と交換していたという証拠が遺跡から出てるんだよ。だから貝殻のジュエリーの歴史というのはとても古いんだ。アナサジ族がいたのは西暦で言うと850年から1250年ごろと言われている。

 

アメ駐:そうなんですね。それでもモザイクやヒシのジュエリーで知られているのはサントドミンゴ族だけですよね?他の部族の人々もみんな貝のジュエリーというのは儀式で使うものなのに伝統的に作られているのはサントドミンゴ族だけ、というのが前からとても疑問だったんですけど、どうしてなんでしょうか?

カルヴィン:クリエイター(創始者)がそういう風にそれぞれの部族の役割を決めたからだよ。

「ナバホ族だったら、シルバー細工」「へメスだったら、壺」「ホピだったら、カチナとバスケット」「ズニだったらインレイジュエリー」

こういう風に、クリエイターが決めてそれぞれに役割を与えたんだ。今では部族間の交流がたくさんあるけど、昔はその工芸品や作品をトレードすることで交流をしていた。だから今でも部族間でのトレードというのが行われるようになっているんだ。

アメ駐:それはとてもとても深い話ですね。でもそういう風に考えたらつじつまが合うような気もします。

カルヴィン:そうだね、僕たちはそう信じているんだ。

アメ駐:もともとカルヴィンがジュエリーを始めるきっかけというのは何だったんですか?

カルヴィン:お父さんの手伝いを中学生の時からしていたからね、その時からずっと、それでお金を稼いで、いつも働いているよ。

アメ駐:そうなんですね。

カルヴィン:父が亡くなったとき、父が持っていた工芸品やジュエリーを親族が譲ってもらいに列を作って来た。僕はただ一つ、父の弓矢をもらった。弓矢は「サイレントウェポン」静かな武器で、それがいつも僕を守ってくれているんだ。

父の手伝いをしていたから、僕はいつもお小遣いをもらっていて、少しだけお金があった。それで今の妻ピーラーを射止めることができたんだ! 結婚してみたらそんなにお金がなかったって言われるけどね(笑)

 

アメ駐:いつも共同作業で、仲がいいですよね。

カルヴィン:すべての始まりは女性からだからね、女性を敬うことは大切だよ。ピーラーはデザインも勉強していたから、色の配色や新しいデザインはピーラーが考えることが多いよ。

続く。。。。

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