アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」日本とのかかわり編

 

マライカとの出会いまでの、前回のインタビュー記事はこちら。

アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」歴史編

 

アメリカ駐在(以下、アメ駐)2013年に初めて日本に来日してマライカでデモンストレーションをして、その後色々な変化があったと思うんですけどどうでしたか?

アーロンアンダーソン(以下、アーロン)うん行って、日本のお客さんと売り場、スタッフの人たちを見て、とても考え方が変わった。

アメ駐 どういう風に?

アーロン 今まではもっともっとすごいものをって思っていたけど、実際に自分のジュエリーの値段が上がりすぎていて、一部の人しか買えないものになっていたことに気づいたんだ。だから、自分のジュエリーの値段を下げたいと思った。

アメ駐 たしかに、そこから少しスタイルを変えましたもんね。

アーロン そう、僕の作品をもっと多くの人に所有してもらいたいってすごく思った。そのために小さいものや少しポップなものとかも作り始めたんだ。

それと、日本に行って、僕は自分がすごく恥ずかしく感じた。

アメ駐 恥ずかしい⁉

アーロン インディアンって、適当に仕事して、適当に毎日を過ごしている人が多い。でも日本人がどんなによく働いているかを見て、お客さんもバイヤーさんも、そうやって頑張った結果僕のジュエリーを買ってくれていると思うと、自分の生活がすごく恥ずかしくなったんだ。

アメ駐 そうなんだ。でもそういう考えの違いとか、勤勉さとか、インディアンの価値観からすると理解できないことかなって私はずっと思っていました。

アーロン たしかに大半の人はそうかもしれないね。

アメ駐 でもアーロンはどうしてそういう考え方ができるんですか?何か理由はある?

アーロン 僕の母は学校の先生だった。兄弟は6人いたんだけど、兄弟みんな高校を卒業して、大学も出てるんだ。

アメ駐 すごい!アーロンの世代だとまだ高卒とか高校中退も多い世代ですよね。

アーロン そう。母は朝五時にヒッチハイクをして仕事に行き、その毎日で6人を大学まで育て上げた人なんだ。彼女がどんなに働いてきたかを見ていて、ちゃんと教育も受けているから、僕の兄弟はみんなすごい出世している。長男は学校でずっと成績トップ。僕がクレイジーだった時代は、なんでこんな子になってしまったのかってみんな思っていたらしいよ。

アメ駐 そんな風に見えない!(笑)

アーロン ある時、セレブのコレクターと、酔っ払いの友達が両方見ている中でデモンストレーションをしたこともあるよ。クレイジー時代の友達は刑務所に行ったりした奴もいるし、今もすごいアル中のやつもいる、でもみんな同じように自分は付き合ってるからね。それは今までの自分の経歴があるからだと思う。

アメ駐 なるほど。アーロンの名前が有名になっていくことで、何か葛藤というかそういうものってある?

アーロン もっとお金を稼ぎたい、もっといい車に乗りたい、もっともっとっていう作家もたくさんいる。

アメ駐 私もビジネスの面で考えるとすぐにもっともっと!って思ってしまうので、そこのところの考えが聞きたいです。

アーロン 僕もそれを思うことはあるけど、僕が今ジュエリーを作って売る、その一番の目的は子供たちを大学卒業まで育てること。まずそれが一番なんだ。そのために、新しいジュエリーを生み出して、売らなければいけない。オーダーをこなさなければいけない。

アメ駐 そうなんだ。(前回のダンジャクソンにもそんな話出てきたな。)

じゃあ「オーダーも何もない状況で、子供たちの授業料の支払いが迫っている!」というときはどんな感じ?作るしかないから作るか。。って感じ?

(にやにやし始めるアーロン)

アーロン それが一番の楽しい時だよ!

アメ駐 どういう意味?

アーロン すべて白紙ってことだよ?自分の作りたいものを作って、それが売れるかどうか勝負する。それが自分にとって挑戦で、一番の楽しい時間だ。

アメ駐 なるほどね。

アーロン 昔クレイジーだった時は本当によくケンカしたんだ。昔は「肉体的なファイト」でも、今はそれが、家族を守るための「精神的なファイト」になったんだと思うよ。その勝負に勝つときが楽しいんだよ。

さっきの話に戻るけど、家族を守るということを目的にしているのは、自分のことをちゃんとわかっているからというのもあると思う。自分はハンサムじゃないし、カリスマ性があるわけでもない、だから自分が前に出て名前を大きくしていくっていうキャラクターじゃないってことを自分で分かっている。だから、背伸びせず、自分のできる範囲で家族に何をしてあげられるかを考えられるんだと思う。

アメ駐 ハンサムじゃない?でもいい写真撮れてますよ!?

アーロン 昔は痩せててもっとハンサムだったよ(笑)その後の人生がクレイジーすぎてこんな感じになっちゃったんだ。

でも、僕がジュエリーショーに出ないっていうのもそこかもしれないね。大きな町に行って、テーブル一つに自分の作品を並べて、いつも着ないようなキレイな服を着て、いつもとは違う話し方で作品を売る、なんてことは僕にはできない。それは自分じゃないような気がする。だからどんなセレブのコレクターにも、いつもの話し方で、いつもの穴の開いたTシャツでいる。

アーロン 実際、いくら言葉で説明するよりも見てもらった方が早いしね。説明が面倒だから、仕事を公開することの方が楽なんだ。

アメ駐 なるほどね~、これから先の目標みたいなものとかはありますか?

アーロン 子供たちが大学を卒業するまでは、あと8年間。その後はジュエリーを作る目的もないから、もしかしたらやめるかもしれないな。

アメ駐 え⁉ジュエリーをあと八年間しか作らないって決めてるの?

アーロン 作り続ける理由がなくなるからね。だからそれまでにいっぱいオーダーしてよ(笑) それは冗談だけど、それまでにいったんジュエリーの原点に戻りたいなとは思っている。

アメ駐 原点に戻るとは⁉

アーロン 父はリングシャンクで有名だったって言っただろ?その父が作っていたような、色々な機械がある今では考えられないような、ハンドメイドのトゥファキャストの作品を作りたいと思っているよ。「Make OLD to NEW」古いものを新しくって感じかな。頭の中ではデザインがもうできてるんだ。

アメ駐 なるほど、想像がつかないけど楽しみ。貴重な時間をありがとうございました!

作家の考え方は、本当に深いですね。色々な作家がいるからこそ、それぞれのスタイルで、それぞれの手から色々なジュエリーが生み出されていることを実感したインタビューでした。

 

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