アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」歴史編

前回のブログをたくさんの方に読んでいただきました!ありがとうございます。

さっそく続いてですが、本日の記事もインタビューになっています。

2013年にマライカでデモンストレーションを行ったアーロンアンダーソン。このブログでも何回かアーロンアンダーソンの言葉を取り上げてきました。

今回はアーロンアンダーソンのスタジオにて、ジュエリーを作り上げながらインタビューをした様子をお届けします。

アメリカ駐在(以下、アメ駐)まずアーロンが、自分は他のアーティストと違うって思うところはどこですか?

アーロンアンダーソン(以下、アーロン)「新しいことに挑戦することを恐れない」というところかな。いつも新しいアイディアがあったらそれを作品にするのが楽しい。

アメ駐 そもそも元々はどうやってジュエリーを作る道に入ったの?

アーロン 僕の実の父はWilbert Anderson(ウィルバートアンダーソン)といって、トゥファキャスト、サンドキャストでとても有名な人だった。僕は5歳の時から彼のジュエリーの磨きを手伝ってたんだ。ここの手の傷は、その時にできたもの。古い道具を使っていたから今みたいに安全じゃなくて、磨きの時に手を切ってしまった。僕の父はトゥファキャストをいまでいう石膏で型を取るみたいな感じでリング部分の全体を作って、それでリングを作る人というのでとても有名になった。彼はとても有名な人だった。

今では小さくなってしまったけど、その当時はサンタフェインディアンマーケットみたいに大きかったギャラップのセレモニアルで一位をとったことがある。その時大統領だったGerald Fordと父が一緒に写真をとったところに自分もいたよ。

アメ駐 すごい!お父さんのことを尊敬してたんですね。

アーロン 彼がジュエリーを作る所をたしか1993年とか94年ごろだと思うけど、ハリソンジムも見ていたよ。インゴットとかトゥファキャストの基礎は僕の父、ウィルバートから来てると思う。でも、僕は大酒飲みの父のことが嫌いだったしジュエリーなんて作る気はなかった。だから高校を卒業して仕事したんだけどすぐにクビになって、ジュエリーを作ってお金を作るしか方法がなくて始めたんだ。

アメ駐 じゃあもともとは仕方なくやり始めたんだ。

アーロン そう。その時実の父Wilbert Andersonと母は離婚していて、新しい父のWilford Henryもトゥファキャストを作る人だったんだ。最初はすごく嫌だったけど、仕事を辞めた次の日、持っていたのは10ドルしかなくて、そのお金でシルバーを買い、トゥファキャストのバックルを作った。そのバックルを一個作るのに丸一日かかったよ。

アメ駐 そうなんだ、そこからはどうやって?

アーロン その一番最初に作ったバックル、それを買ったトレーダーが出品したらギャラップのセレモニアルでジュエリーのナンバーワンの賞をもらったんだ。今も覚えてるけど、$125で売ったバックルが、賞の賞金でさらに$375もらえて、とにかくうれしかったよ。

アメ駐 すごい、最初の作品がナンバーワンをとる人なんて見たことない!もともと才能があったんですね。

アーロン 当時は銀が安くて自分も安く売ってたけど、自分の技術が上がるにつれて値段を上げていった。新しいデザインもたくさん作っていたし、一人のトレーダーがとても気に入ってくれてそのトレーダーに全部買ってもらっていたんだ。

でも2009年のある時、そのトレーダーのボスがもう自分のジュエリーは買えないと言ってきた。その頃自分はお酒を飲んでてかなりクレージーな奴でひどい生活をしてたから、ジュエリーを売ったお金をお酒につぎ込んでいる自分を見かねて、”このお金でお前を死なせたくないからもう買わない”って言われたんだ。

そこで、僕はお酒をきっぱりと辞めた。その時にマライカのバイヤーと出会ってマライカにジュエリーを売り始めたんだよ。

アメ駐 そうなんですね、「買わない愛」、なんか分かるな。

それにしてもマライカとはなんだか運命的な出会いだったんですね。思えばその頃のマライカの品揃えの中でのアーロンアンダーソンは、初めて「高価でアートな作家」で、今考えると実は結構チャレンジだったと思います。

アーロン 僕のトウファキャストは、全く同じように作ればだれでもできる。特に道具がいっぱいいるわけでもないし、一番伝統的なナバホのジュエリーの手法だからね。だからこそ、「他の人と違うものを作る」というのを常に考えている。

アメ駐 なるほど、だから他のアーティストとは差別化できるんですね。他の人がマネすることを嫌がる作家がとても多いですけど、アーロンは自分の仕事をすべて公開してますよね。何回か話をしたこともあるけど、マネされることについてはどう考えてる?

アーロン 僕が超クレイジーだった時は、自分がカービングしたトゥファを知り合いにあげて、その人が自分のジュエリーとして売っていることもあった。「自分のデザイン」っていう誇りを持ち始めたのはそれを辞めてからかな。それでもすぐに新しいデザインは誰かにマネされ続けているよ。

でも、マネされなくなったら終わりだと思う。それは影響力がなくなったってことだと思うから。でも、マネされても追いつかれないように常に新しいデザイン、新しいやり方で進んでいかなきゃいけない。それが楽しいんだよ。

アメ駐 なるほど。だから色々な人に技術を教えることを続けてるんですね。

アーロン そう。ネイティブに限らず、日本人にも、中国人にも、この前はナミビアの人も見に来た。仮に全く同じデザインで全く同じように見えたとしても、その作品には「AaronA」の刻印は入っていないからね。

この続きは、次回。

アーロンアンダーソンの作品はこちらから。