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アーティストインタビュー アーノルドグッドラックその1
アーノルド:経験でスタンプはちょうどいいデザインが出来上がると思うんだけど、妻はすべて線を引いて、どこに何を打つかを決めないとできない。「適当に」感性に任せてスタンプを打っていくというのは経験がないとできないと思う。
アメ駐:なるほど、アーノルドは地元の学校の役員もずっとやられていますけど、昔と今を比べてナバホ族の文化についてどう変化したと思いますか?
アーノルド:僕たちが子供のころはいろいろなルールがあいまいで、とてもワイルドだったよ。祖母が道端に露店を出してそこでハンドメイドのナバホラグを売っていたんだけど、その時「ちょっと店番してくれ」って頼まれて一人でよく店番をしていた。7歳のときだったかな。
これは今は笑い話で、祖母のラグを50ドルで売るはずだったんだけど、長距離トラックの運転手が「亀二匹と交換してくれ」って言われて子供の僕は50ドルよりも亀二匹のほうが嬉しかったから、交換してラグをあげたんだ。祖母には恐ろしく叱られたけどね。
こういうワイルドな出来事がたくさんあったけど、子供のころ良い所も悪い所も見てきたから今思うとそれがすべて学びになって今につながっていると思う。
昔は本当に嫌だったけど、羊を売りに行ったり、牛を売りに行ったり、羊の毛を飼ったり今でいう肉体労働を子供のころからたくさんしていて、その中で学んだことはたくさんあるしとてもそのことに感謝している。
学校の会議に参加していると、みんな「学校教育がすべて」という風に思っているけど、実際はそうじゃなくて経験してきたことすべてが学びになると思うよ。
アメ駐:すごい、まさにそうですね。その中でどう工夫していくかというのを学ぶのがまさに実践的な勉強ですね。
いつもショーの出展などで忙しいアーノルドですけど、家畜の世話って本当に大変ですよね、それでも続けるのはどうしてですか?
アーノルド:うーん、あまり深く考えたことはないけど、そういう風に育てられたからだね。僕も妻の家族もみんな羊持ちの家庭で育って、妻の祖父は羊を600頭も飼っていた時もある。羊の数は地位を表すし、羊といろいろなものがトレードできるからね。
アメ駐:どこかで商売人の地が流れているんですね。
アーノルド:僕が最初にお金を稼いだのは5歳ごろなんだ。その祖母の店番をさせられているときに、化石化した木(ペトリファイドウッド)を一個25セントで売ったら売れて、その次の週に箱いっぱいに集めて、また売った。
アメ駐:完全に商売人ですね笑
アーノルド:その時はいとこが隣で同じ商売をし始めてすぐにやめたけどね笑
自分で作り出したものを売ったり、自分が発見したものを売ったりしてお客さんが喜んでくれるというのが一番の経験で、それは今も変わっていないし僕の人生はそれがすべてかな。
最初は興味のない所から始まるんだよ、何事も。それを一生懸命経験していくことと勉強して上達していくことから身になっていくんだ。
娘たちは僕のシルバースミスとしての仕事に全然昔は興味がなかったけど、今は自分でジュエリーを作ることにとても興味を持っている。
今後もグッドラックジュエリーとして続いていけるような父でありたいと思うよ。
アメ駐:感激です。アーノルドのスピリット部分が少しわかったような気がします。本当にありがとうございました!
アーノルドグッドラックは、「グッドラックジュエリー」としてネイティブアメリカンのジュエリーショーだけではなく、ウェスタンやファッションなどのいわゆる「白人さんのショー」というイベントにも参加して、自分たちがハンドメイドで作るジュエリーの良さをお客様に直接伝えるということを積極的に行っている数少ないシルバースミスです。毎週のように様々なイベントに出展し、本当にみんな働き者のグッドラック家。
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