アメリカのバレンタイン

そうツイッターでもつぶやいた通り、アメリカのバレンタインデーは、日本でいう恋人たちのクリスマス的な感じです。

チョコレートというのもありますが、

いわゆる「本命」の恋人や家族にはジュエリーなどのギフト、バラの花束などを贈るのが一般的。

ちゃんとしたレストランはカップルの予約でいっぱい。

 

バレンタインデーは日本では「女性から男性」というイメージがありますが、アメリカには「ホワイトデー」というものが存在しないので、バレンタインデーはどちらかというと男性が女性に何かを渡して愛を確かめる日

前日になって焦ってギフトを買っている男性をよく見かけます笑

(これらのバレンタインの写真はアメリカの最大スーパーマーケット、ウォルマートの本日の様子。子供たちにもバレンタインのカードやチョコレートを渡すんですよ。)

Happy  Valentine’s Day!!ってメッセージを添えて、男性女性にかかわらずギフトを渡しあう。

定番のチョコレートもいいですが、今年は一味変えてギフトを贈り合うっていうのはいかがでしょうか??

比較的お手頃価格のジュエリーもオンラインショップに揃っています。

ギフトジュエリー特集はこちらから。

 

ジェラルド新作入荷

アーティストインタビュー記事、再びたくさんの方に読んでいただきありがとうございます!

その間にたくさんの入荷がオンラインショップに入っているんですが、全然紹介できていません。笑

その中の一つ、久々にどんっと入荷したホピ族、ジェラルドロマベンテマの作品。

ジェラルドのモチーフはキュートで人気です。

色々なスタイルを作るジェラルドの作品はすべて一点ものなので、定番物も、少しアートな一点ものも、全てが少しずつ違ってそれがいいところです。

ホピのジュエリーは奥が深いです。

ジェラルドのお宅訪問の記事↓

ジェラルドお宅訪問

 

アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」日本とのかかわり編

 

マライカとの出会いまでの、前回のインタビュー記事はこちら。

アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」歴史編

 

アメリカ駐在(以下、アメ駐)2013年に初めて日本に来日してマライカでデモンストレーションをして、その後色々な変化があったと思うんですけどどうでしたか?

アーロンアンダーソン(以下、アーロン)うん行って、日本のお客さんと売り場、スタッフの人たちを見て、とても考え方が変わった。

アメ駐 どういう風に?

アーロン 今まではもっともっとすごいものをって思っていたけど、実際に自分のジュエリーの値段が上がりすぎていて、一部の人しか買えないものになっていたことに気づいたんだ。だから、自分のジュエリーの値段を下げたいと思った。

アメ駐 たしかに、そこから少しスタイルを変えましたもんね。

アーロン そう、僕の作品をもっと多くの人に所有してもらいたいってすごく思った。そのために小さいものや少しポップなものとかも作り始めたんだ。

それと、日本に行って、僕は自分がすごく恥ずかしく感じた。

アメ駐 恥ずかしい⁉

アーロン インディアンって、適当に仕事して、適当に毎日を過ごしている人が多い。でも日本人がどんなによく働いているかを見て、お客さんもバイヤーさんも、そうやって頑張った結果僕のジュエリーを買ってくれていると思うと、自分の生活がすごく恥ずかしくなったんだ。

アメ駐 そうなんだ。でもそういう考えの違いとか、勤勉さとか、インディアンの価値観からすると理解できないことかなって私はずっと思っていました。

アーロン たしかに大半の人はそうかもしれないね。

アメ駐 でもアーロンはどうしてそういう考え方ができるんですか?何か理由はある?

アーロン 僕の母は学校の先生だった。兄弟は6人いたんだけど、兄弟みんな高校を卒業して、大学も出てるんだ。

アメ駐 すごい!アーロンの世代だとまだ高卒とか高校中退も多い世代ですよね。

アーロン そう。母は朝五時にヒッチハイクをして仕事に行き、その毎日で6人を大学まで育て上げた人なんだ。彼女がどんなに働いてきたかを見ていて、ちゃんと教育も受けているから、僕の兄弟はみんなすごい出世している。長男は学校でずっと成績トップ。僕がクレイジーだった時代は、なんでこんな子になってしまったのかってみんな思っていたらしいよ。

アメ駐 そんな風に見えない!(笑)

アーロン ある時、セレブのコレクターと、酔っ払いの友達が両方見ている中でデモンストレーションをしたこともあるよ。クレイジー時代の友達は刑務所に行ったりした奴もいるし、今もすごいアル中のやつもいる、でもみんな同じように自分は付き合ってるからね。それは今までの自分の経歴があるからだと思う。

アメ駐 なるほど。アーロンの名前が有名になっていくことで、何か葛藤というかそういうものってある?

アーロン もっとお金を稼ぎたい、もっといい車に乗りたい、もっともっとっていう作家もたくさんいる。

アメ駐 私もビジネスの面で考えるとすぐにもっともっと!って思ってしまうので、そこのところの考えが聞きたいです。

アーロン 僕もそれを思うことはあるけど、僕が今ジュエリーを作って売る、その一番の目的は子供たちを大学卒業まで育てること。まずそれが一番なんだ。そのために、新しいジュエリーを生み出して、売らなければいけない。オーダーをこなさなければいけない。

アメ駐 そうなんだ。(前回のダンジャクソンにもそんな話出てきたな。)

じゃあ「オーダーも何もない状況で、子供たちの授業料の支払いが迫っている!」というときはどんな感じ?作るしかないから作るか。。って感じ?

(にやにやし始めるアーロン)

アーロン それが一番の楽しい時だよ!

アメ駐 どういう意味?

アーロン すべて白紙ってことだよ?自分の作りたいものを作って、それが売れるかどうか勝負する。それが自分にとって挑戦で、一番の楽しい時間だ。

アメ駐 なるほどね。

アーロン 昔クレイジーだった時は本当によくケンカしたんだ。昔は「肉体的なファイト」でも、今はそれが、家族を守るための「精神的なファイト」になったんだと思うよ。その勝負に勝つときが楽しいんだよ。

さっきの話に戻るけど、家族を守るということを目的にしているのは、自分のことをちゃんとわかっているからというのもあると思う。自分はハンサムじゃないし、カリスマ性があるわけでもない、だから自分が前に出て名前を大きくしていくっていうキャラクターじゃないってことを自分で分かっている。だから、背伸びせず、自分のできる範囲で家族に何をしてあげられるかを考えられるんだと思う。

アメ駐 ハンサムじゃない?でもいい写真撮れてますよ!?

アーロン 昔は痩せててもっとハンサムだったよ(笑)その後の人生がクレイジーすぎてこんな感じになっちゃったんだ。

でも、僕がジュエリーショーに出ないっていうのもそこかもしれないね。大きな町に行って、テーブル一つに自分の作品を並べて、いつも着ないようなキレイな服を着て、いつもとは違う話し方で作品を売る、なんてことは僕にはできない。それは自分じゃないような気がする。だからどんなセレブのコレクターにも、いつもの話し方で、いつもの穴の開いたTシャツでいる。

アーロン 実際、いくら言葉で説明するよりも見てもらった方が早いしね。説明が面倒だから、仕事を公開することの方が楽なんだ。

アメ駐 なるほどね~、これから先の目標みたいなものとかはありますか?

アーロン 子供たちが大学を卒業するまでは、あと8年間。その後はジュエリーを作る目的もないから、もしかしたらやめるかもしれないな。

アメ駐 え⁉ジュエリーをあと八年間しか作らないって決めてるの?

アーロン 作り続ける理由がなくなるからね。だからそれまでにいっぱいオーダーしてよ(笑) それは冗談だけど、それまでにいったんジュエリーの原点に戻りたいなとは思っている。

アメ駐 原点に戻るとは⁉

アーロン 父はリングシャンクで有名だったって言っただろ?その父が作っていたような、色々な機械がある今では考えられないような、ハンドメイドのトゥファキャストの作品を作りたいと思っているよ。「Make OLD to NEW」古いものを新しくって感じかな。頭の中ではデザインがもうできてるんだ。

アメ駐 なるほど、想像がつかないけど楽しみ。貴重な時間をありがとうございました!

作家の考え方は、本当に深いですね。色々な作家がいるからこそ、それぞれのスタイルで、それぞれの手から色々なジュエリーが生み出されていることを実感したインタビューでした。

 

アーロンアンダーソンの作品はこちらから。

 

アーティストインタビュー「アーロンアンダーソン」歴史編

前回のブログをたくさんの方に読んでいただきました!ありがとうございます。

さっそく続いてですが、本日の記事もインタビューになっています。

2013年にマライカでデモンストレーションを行ったアーロンアンダーソン。このブログでも何回かアーロンアンダーソンの言葉を取り上げてきました。

今回はアーロンアンダーソンのスタジオにて、ジュエリーを作り上げながらインタビューをした様子をお届けします。

アメリカ駐在(以下、アメ駐)まずアーロンが、自分は他のアーティストと違うって思うところはどこですか?

アーロンアンダーソン(以下、アーロン)「新しいことに挑戦することを恐れない」というところかな。いつも新しいアイディアがあったらそれを作品にするのが楽しい。

アメ駐 そもそも元々はどうやってジュエリーを作る道に入ったの?

アーロン 僕の実の父はWilbert Anderson(ウィルバートアンダーソン)といって、トゥファキャスト、サンドキャストでとても有名な人だった。僕は5歳の時から彼のジュエリーの磨きを手伝ってたんだ。ここの手の傷は、その時にできたもの。古い道具を使っていたから今みたいに安全じゃなくて、磨きの時に手を切ってしまった。僕の父はトゥファキャストをいまでいう石膏で型を取るみたいな感じでリング部分の全体を作って、それでリングを作る人というのでとても有名になった。彼はとても有名な人だった。

今では小さくなってしまったけど、その当時はサンタフェインディアンマーケットみたいに大きかったギャラップのセレモニアルで一位をとったことがある。その時大統領だったGerald Fordと父が一緒に写真をとったところに自分もいたよ。

アメ駐 すごい!お父さんのことを尊敬してたんですね。

アーロン 彼がジュエリーを作る所をたしか1993年とか94年ごろだと思うけど、ハリソンジムも見ていたよ。インゴットとかトゥファキャストの基礎は僕の父、ウィルバートから来てると思う。でも、僕は大酒飲みの父のことが嫌いだったしジュエリーなんて作る気はなかった。だから高校を卒業して仕事したんだけどすぐにクビになって、ジュエリーを作ってお金を作るしか方法がなくて始めたんだ。

アメ駐 じゃあもともとは仕方なくやり始めたんだ。

アーロン そう。その時実の父Wilbert Andersonと母は離婚していて、新しい父のWilford Henryもトゥファキャストを作る人だったんだ。最初はすごく嫌だったけど、仕事を辞めた次の日、持っていたのは10ドルしかなくて、そのお金でシルバーを買い、トゥファキャストのバックルを作った。そのバックルを一個作るのに丸一日かかったよ。

アメ駐 そうなんだ、そこからはどうやって?

アーロン その一番最初に作ったバックル、それを買ったトレーダーが出品したらギャラップのセレモニアルでジュエリーのナンバーワンの賞をもらったんだ。今も覚えてるけど、$125で売ったバックルが、賞の賞金でさらに$375もらえて、とにかくうれしかったよ。

アメ駐 すごい、最初の作品がナンバーワンをとる人なんて見たことない!もともと才能があったんですね。

アーロン 当時は銀が安くて自分も安く売ってたけど、自分の技術が上がるにつれて値段を上げていった。新しいデザインもたくさん作っていたし、一人のトレーダーがとても気に入ってくれてそのトレーダーに全部買ってもらっていたんだ。

でも2009年のある時、そのトレーダーのボスがもう自分のジュエリーは買えないと言ってきた。その頃自分はお酒を飲んでてかなりクレージーな奴でひどい生活をしてたから、ジュエリーを売ったお金をお酒につぎ込んでいる自分を見かねて、”このお金でお前を死なせたくないからもう買わない”って言われたんだ。

そこで、僕はお酒をきっぱりと辞めた。その時にマライカのバイヤーと出会ってマライカにジュエリーを売り始めたんだよ。

アメ駐 そうなんですね、「買わない愛」、なんか分かるな。

それにしてもマライカとはなんだか運命的な出会いだったんですね。思えばその頃のマライカの品揃えの中でのアーロンアンダーソンは、初めて「高価でアートな作家」で、今考えると実は結構チャレンジだったと思います。

アーロン 僕のトウファキャストは、全く同じように作ればだれでもできる。特に道具がいっぱいいるわけでもないし、一番伝統的なナバホのジュエリーの手法だからね。だからこそ、「他の人と違うものを作る」というのを常に考えている。

アメ駐 なるほど、だから他のアーティストとは差別化できるんですね。他の人がマネすることを嫌がる作家がとても多いですけど、アーロンは自分の仕事をすべて公開してますよね。何回か話をしたこともあるけど、マネされることについてはどう考えてる?

アーロン 僕が超クレイジーだった時は、自分がカービングしたトゥファを知り合いにあげて、その人が自分のジュエリーとして売っていることもあった。「自分のデザイン」っていう誇りを持ち始めたのはそれを辞めてからかな。それでもすぐに新しいデザインは誰かにマネされ続けているよ。

でも、マネされなくなったら終わりだと思う。それは影響力がなくなったってことだと思うから。でも、マネされても追いつかれないように常に新しいデザイン、新しいやり方で進んでいかなきゃいけない。それが楽しいんだよ。

アメ駐 なるほど。だから色々な人に技術を教えることを続けてるんですね。

アーロン そう。ネイティブに限らず、日本人にも、中国人にも、この前はナミビアの人も見に来た。仮に全く同じデザインで全く同じように見えたとしても、その作品には「AaronA」の刻印は入っていないからね。

この続きは、次回。

アーロンアンダーソンの作品はこちらから。

 

 

アーティストインタビュー「ダンジャクソン」

ラグデザインで定番人気となっているダンジャクソン。

御年76歳のベテランアーティスト、Dan Jackson。今年はもうリタイアだと言いながらも、コレクターの熱に押されまだ現役でラグパターンの人気ジュエリーを作り続けるダンジャクソン。マライカアメリカ駐在にとっても、オーダーがなくてもただお店に顔を出して世間話をしに来てくれる、アーティストを超えた存在です。

今日はそんなダンジャクソン氏へのアーティストインタビューを記録しました。(敬語は省いてフランクな形で訳してみました。)

 


アメリカ駐在

ダンジャクソン(以下ダン)はどうやってジュエリー制作の道に入ったの?


ダンジャクソン

すべて、父のJohn Nez Begayから習い、始めた。父は106歳まで生きたんだ!故トーマスカーティスやウィルソンジムも彼からジュエリーの基本を教わったんだよ。


アメリカ駐在

106歳!っていうと何年生まれ?


ダンジャクソン

たしか一番最後の娘が35歳の時に亡くなったから・・(電卓を手にして計算するダン氏)・・・・1877年!!


ダンジャクソン

その頃は、道具、銀のシートとか何にもなかったから、スクラップシルバーや銀貨を溶かして作る、今でいう本当のオールドスタイル。そこから学んだんだ。


アメリカ駐在

ダンも最初からラグパターンの今のスタイルだったの?


ダンジャクソン

いや、最初はシャドーボックスやカウボーイスタイルのエングレービングっていう表面に削ってデザインを描くジュエリーを作っていた。  

今のラグパターンでエングレービングしている技術はそこから来てるんだ。


アメリカ駐在

じゃいつからラグパターンのスタイルになったの?


ダンジャクソン

父が亡くなる前。母はナバホラグのウィーバーだった。そこから、父がラグパターンを作るようになった。父が亡くなる前に、自分にそのスタイルを継いでほしいと言われたんだ。

ナバホラグ
ナバホラグ

ダンジャクソン

実はラグパターンって簡単なようですべて自然が由来の深い意味があって、ここのラインははみ出てはいけない、とか、この形はこうでなければいけない、っていう決まりがある。母にそれを教わり、父にそれをシルバーに描く技術を教わった。


アメリカ駐在

そうなんだ、お父さん、偉大ですね。


ダンジャクソン

私の両親は本当にすごい人たちだった。父はモカシンを作る人でもあって、とても伝統的な暮らしをして、母はラグを織って、ものが必要だったらそのラグをトレーディングポストにもっていって食料とトレードしたし、羊を飼ってトウモロコシを育てていたから食べるものはあった。


アメリカ駐在

ザ、ナバホの生活ですね。他にお父さんの教えで引き継いでいることはありますか?


ダンジャクソン

父がジュエリーに関していつも言っていたことが二つある。 「Never Go Light」軽いほうに逃げるな。と、「Never make too much」多く作りすぎてはいけない。ということ。


ダンジャクソン

軽いほうに逃げるな、というのは銀(シルバー)を銅にしたり、ゲージを下げて薄くするということ。私は一番最初にジュエリーを作り始めたときから、シルバーとゴールド以外触ったことがない。ニッケルや銅では絶対に仕事をしない。そしてシルバーの値段が上がっても下がっても、同じ厚みで作り続けている。それは父の教えがあるからで、だからこそ長年使い続けることができる作品になると自分も信じている。薄いシルバーで価値の低いものものを作るのではなく、厚みを確保して家宝になるジュエリーを作る。


アメリカ駐在

なるほどー!すごい深い。


ダンジャクソン

多く作りすぎてはいけない。と言うのは、ジュエリーを作ってお金に換えるというのはあくまでも家族を養うための手段だということを忘れてはいけないという意味。多く作りすぎて、必要以上に多くのお金を手にする必要はない。私は毎年、インディアンマーケットに行くときは自分でたくさんの在庫を作って持っていこうと思うのだけど、どういうわけか、自分では例年19個、以上作れないんだ。これは父がどこかで操作しているに違いない(笑)  なんて冗談だけど、「作りすぎると自分に返ってくるから気をつけろ。」とよく言われたんだ。


アメリカ駐在

作りすぎると市場にあふれちゃって価値がなくなるってことを言いたかったんですかね?


ダンジャクソン

そうかもしれない、当時は今みたいに作家の名前とかが重要視される時代じゃなかったけど、「自分に必要な分を必要なだけ作る」っていうことだと思う。


アメリカ駐在

余計な欲を出しちゃいけないってこと?


ダンジャクソン

そうだね、それはナバホ族の伝統的な信仰でもある。お金を持つことは目的じゃなくて、本来はお金はただ家族を養うための手段であるべきなんだ。なかなかそれができないけどね。


アメリカ駐在

なんかすごい話が聞けました。このお父さんは、トーマスカーティスやウィルソンジムにもシルバースミスの道へのきっかけを作った人なんですよね?


ダンジャクソン

そう、アリゾナ州のDelconにいた唯一の腕のいいシルバースミスは僕の父だったからね。彼しかいなかったっていうのもある。彼らはその後独自のスタイルを作り上げているから、僕の「父に習った」っていうとどういう反応をするかは分からないけど、彼らはみんな僕の家族だし、少なくとも彼からの影響は受けている。


アメリカ駐在

そうなんだぁ。すごい、その後エディソンスミスとかジェニファーカーティスとかもすべてそこからスタートしているんですね。 ダンは自分のジュエリーの継承についてはどう考えてるの?


ダンジャクソン

娘二人はチャレンジしたことが何回かあるけど、根気がないからね。

ダンジャクソンのシルバーのカット前
ダンジャクソンのシルバーのカット前

アメリカ駐在

確かに、このジュエリーはモノスゴイ根気がいりますよね。。。でもぜひぜひ誰かに継いでもらいたいです!!


ダンジャクソン

僕はもともと父のラグデザインを継承したいから、このラグデザインにコピーライトをつけたんだ。甥っ子のトミージャクソンも本当はまねできない。でも時々してるけど(笑) それは家族を守るという意味でそうしたんだよ。僕のマネをしているジュエリーを見かけることがあるけど、ラグデザインの本当の意味を分かっていなくて、変なデザインになっているのを何回か見たことがあるよ。


アメリカ駐在

そうなんだ、ラグデザインの出どころはすごい深い話だったんですね。ダンの奥さんは今も伝統的衣装を作っているし、次回はDelconに行ってレポートしたいです。


ダンジャクソン

うん、雪が解けたらね(笑)

 

インディアンジュエリーのアーティストが「ブランド化」していく中で、「自分の必要な分を必要なだけ作る」を続けていくのは実は結構難しい時代に来ています。そんな真髄を聞くことができたインタビューでした。

ダンジャクソンの商品ページこちら

ダンジャクソンの作品
ダンジャクソンの作品
ダンジャクソンの仕事
ダンジャクソン

2019年も人気絶頂、サンシャインリーブスの新作とゴールデングラブ賞

サンシャインリーブスの色々なアイテムが入荷しています。

今年もまだまだ人気は続く、サンシャインリーブスの作品。今まですぐに売り切れてしまうのもあり定番商品の入荷が多かったのですが、その合間を縫って今までと違うアイテムにも力を入れてもらっていました。

 

 

 

コインシルバーのバングル
14金のスターリング
サンシャインリーブスのスタンプ

そして昨夜のゴールデングラブ賞!!!

受賞した「ボヘミアンラプソディ」に参加した、クイーンのブライアン・メイのボロタイが、ズニ族のもので、思わず巻き戻し、写真を撮る私。Yahoo ニュースにも出てました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00000346-bark-musi

画面で見る限り、このApril Unkestine のボロタイバージョンだと思われます。

アカデミー賞、ゴールデングラブ賞はネイティブアメリカンジュエリーを探すのを楽しみに見ています。

↓以前はモーガンフリーマンが着けてましたね。

http://usa.malaika.jp/2016/01/15/%E5%84%84%E4%B8%87%E9%95%B7%E8%80%85/

チャールストンルイスの金アイテム

あけましておめでとうございます。

本年も、マライカオンラインショップ、店舗、アメリカ駐在ブログ、共々よろしくお願いいたします。

さて、ロングシープの写真から始めてみました2019年のアメリカ駐在ブログ。今年は30日から大寒波が到来し、大みそかには雪が積もり、さらにマイナス20度という世界でなかなかの厳しい年越しを迎えたニューメキシコ州ギャラップです。

さて、新年にふさわしいアイテムが入荷しています。

チャールストンルイスの新作。

厚みのある14金を渡して作ってもらったものです。

まずは、ホピ族の伝統的なデザイン。「ココペリとトウモロコシ」のリング。

過去には何回か金を使ったことがあるとは言っていましたが、10年ほど金の作品は作っていないということで、かなり本人が慎重になっていました。チャールストンは結構(見た目に寄らず⁉)まじめな人。なのでこちらが何も言わなくても毎回サイドのデザインの要望などを聞いてそれに合わせて作ってくれるのですが、今回は14金とあり、二日に一回は必ず電話がかかってくるぐらいの慎重度。

そして少し細めで、チャールストンルイスの人気デザイン、「フレーム」

厚みのある14金を使うというだけで値段がぐっと上がってしまうので、上がりすぎないようにどこに14金を使うかというのも打ち合わせをしました。

サンフェイス部分のみ、バチカンはシルバー。の今までになかったプチサンフェイスのゴールドコンビ。

作品を持ってきた次の日、「どう?日本のお客さんの反応は?」と電話がかかってきました!「日本に着くのはまだ先!」と苦笑いで返しましたが、それほど今回の14金作品の出来に自信があるということでしょう。

バングルも近々オンラインストアにアップされると思います。

年明けポイント5倍は今朝10時までとなっております!!!