冬がそこまで来ています!

最近ここニューメキシコでは朝方雨が降って本格的に冷え込む日が続いています。
10月はこんな日が続き、11月に入るといよいよ雪が降るんだそうです。
もうこちらでは朝晩はすっかり暖かなジャケットのお世話になっています。
つい最近までの肌を刺すような日差しから打って変わって、この寒さ!
ここの人たちはニューメキシコには秋がなくいきなり冬が訪れると言います。
さて、インディアン達の冬支度も始まっています。
各自木を切って薪を用意したり、馬の為に干草を蓄えたり!
日本では電気、石油やガスが一般的な暖のとり方ですが、ネイティブ達は今も薪の暖炉を愛用しています。
さて、このシーズン限定でやる事がもう一つ!
“松の実拾い”です。
日本のぎんなん拾いと一緒なのでしょう。
週末になると森のあちこちにトラックがチラホラ、家族揃って松の実拾いをしてる家族をみかけます。

お父さんが木に登って揺らし、子供達が一生懸命拾う姿はなんだかのほほんとしています。
こちらが“ピニョン”と呼ばれる松の実です。

塩と一緒に焦げない様に炒ります。しばらくするとポップコーンのように弾けだしたら出来上がりの合図です。
最近はスーパーに並ぶ果物や野菜もすっかり変わってきました。
山盛りのりんごに大きなパンプキン!
収穫祭が近づいています。

セージとネイティブアメリカン

ニューメキシコもだいぶ日が短くなり、朝晩冷え込むようになってきました。
日本同様、秋めいてきた感じです。
季節の変わり目という事もあって、最近はサンダーストームの日が多いです。

↑空からインクを垂れ流したように見えるところでは、雨が降っています。
ここニューメキシコやアリゾナでは、カルフォルニアのホワイトセージとはちょっと違いますが、こぶりのブルーセージが荒野一面に生えています。
雨が降るとこの生い茂ったセージが雨と一緒に水蒸気となって蒸発し、あたり一面が強いセージの香りに包まれます。雨の匂いと混ざったセージの香りはとてもやさしく、癒されます。

セージはネイティブアメリカンの人にとって、重要な植物になります。
時に治療に、時に煎じてお茶に(ガンに効果があるそうです)、また儀式の際のお清めとして用いられてきました。
ネイティブの民間療法として、風邪を引いたときに水で煮出して、それをタオルに染み込ませ吸引するという方法があります。ミントのような清涼効果があるそうです。
日本でもホワイトセージでだいぶ一般的になってきたスマッジングという方法。
セージを燃やす事によって、その煙りで空間とオーラをスリーンにし、かつクリアにするそうです。
ナバホでは煮出したり、手ですりつぶして匂いを嗅ぐのが一般的ですが、ホピではこのようなスマッジングに用いられるそうです。日本でいう、神社の線香のような感じでしょうか。ホピのトレーディングポストでは紐で束にしたセージが売られているを見かけます。
セージは砂漠地帯の乾いた大地でも葉を伸ばし、厳しい冬の寒さの中でも枯れる事がなく、雪に埋もれても春には元気な姿を再び現します。そのたくましいさからも、ネイティブの人々はセージを“シークレットプラント”と呼んでいます。
現在もセージはネイティブ・アメリカンにとって神聖な存在であり、命にパワーをくれるものとして大事にされています。

ナバホとラグ

先日ナバホのアーティスト、アーノルドグッドラックのお宅にお邪魔しました。
彼の家には大きな牧場があり、ローピングの常連でもあるアーノルドが乗馬を教えてくれるというのです。
元々スペイン人がアメリカの地に持ち込んだをされる馬や牛や羊ですが、狩猟民族のナバホ族とは深い繋がりがあるようです。ズニやホピではすっかり見かけなくなった馬ですが、ナバホの居留地では今も別に大切に飼われています。
さて、乗馬が終わりお待ちかねのデイナーになりました。
アーノルドの家では料理上手な奥さんがいつもフライブレッドやナバホシチューなど伝統的な料理をご馳走してくれます。この日のメニューはマトン(子羊)のシチューでした!
夕食をとりながら、お互いの文化の違いについて話をしているうちに、すっかり話はラグになりました。
先週のインディアンマーケットにてサンシャイン・リーブスの奥さんもラグを出展していましたが、ナバホの女性にとっては編み物の様に、一つの趣味のようです。せっかくなので、アーノルドの奥さんに今製作中という織りかけのラグを見せてもらいました。
1、羊の毛から毛糸玉を作る

このような道具を使って、羊の毛を伸ばして紙縒りながら糸状にします。
こうする事で糸がとても丈夫になるんだとか。
2、毛糸を自然の染料で染める
居留地には様々な植物が生えています。その自然の色を煮出して毛糸を染めます。
3、織る
縦にピンと張った糸に毛糸を編みこみ、“ヘラ”と“くし”を使って間を積めながら模様を織り出します。

このヘラとくしは曾祖母から受け継がれたものだそうです。


年期が入っていますね!!
ラグとナバホ族には深い歴史があります。
元々綿で織物をしていたナバホですが、織物は酋長が雨乞いの儀式で厳しい自然から身を守るものとして使われてきました。
それが19世紀に入ると、ヨーロッパ系の白人に人気が出て、白人向けのラグへと姿をかえました。それに向け、綿から羊の毛に移り変わったのもこの頃です。
ですが、人気に押され生産されたラグは次第に質より量になってしましました。そこで活躍したのがトレーディングポストを営む白人達でした。
彼らは東洋の優れた技術を融合させたり、オリジナルのパターンを編み出したり、PR活動をするなどして、一度廃れてしまったラグの再び命を取り戻しました。
今日では時間がかかる為、日常で織る人はだいぶ減ってきましたが、今でもショーなどでは素晴らしいラグを見かけます。そして、子供達も織り方を親から引き継いでいるそうです。
アーノルドの奥さんのラグ、1m×1m半の大きさですが、完成は一ヶ月後だそうです。
出来上がりが楽しみです!

ズニのストーリー

先日ズニで大きなパレードがあったので、遊びに行ってきました。
道路を封鎖してカチナに扮した村人がいくつかのグループに分かれて各々のダンスをしていました。
カメラ撮影OKで一般公開されたものだったので、本来のカチナダンスとは違いますが、装いは本格的で充分に楽しめました。
こちらがその様子!各グループ、トロフィーを狙って一生懸命です。

さて、せっかくズニを訪れたので、ズニの友人に会ってズニの歴史について少し勉強しました。
本格的に話せば10何時間にも及ぶズニの歴史、冬の寒い時期のみ話す事が許されているそうです。おそらくそれは春夏秋はそれぞれ農作業などやる事が多く、また冬の間は寒さが厳しく室内にこもり、時間があるかららしいのですが、一言、冬以外に話すのはアンラッキーを呼ぶとされています。
今回は入門編として非常に簡単に、分かりやすく説明してもらいました。
元々ズニの祖先は4つのあるといわれる世界の最も暗い世界で暮らしていました。
それが、”ファーザーサン”の導きによって、地中深くから、幾つもの世界を通って光のある世界を目指し、たどりついたそうです。
やがて光のある世界でズニの人々は大きく3つのグループに別れました。それぞれ別の方角に向かって、一つはメディスンを学びぶ為に、もう二つは手にした恵み(黒い鳥とカラフルな鳥)の導く方向へと歩みだしました。そこで各々の文化を育くんだそうです。
現在もそのストーリーの語るとおり、アメリカにはズニの人々が辿った跡が各地に残っています。
また、ズニ村は乾いたニューメキシコの大地にありながら、今も豊かな泉がいくつかあり、人々の飲み水、そして生活用水として生活を支えています。その泉にもストーリーがあります。モチーフでお馴染みの蛙やおたまじゃくしは、3つに分かれたうちの一つのグループの子供達なんだそうです。泉を渡ろうとした母の手をすり抜けた子供達が、泉で遊んでいるうちにそれぞれいろんな生き物に変化したものだと信じられています。
こちらはズニの豊かな水源でもある湖です↓

また、世界の中心を求め分かれたグループが再会した時に、クラウン(氏族)がファミリーごとに名づけられたり、キバと呼ばれるグループが登場しました。
キバにはそれぞれの教えがあり、現在も厳しいシークレットに守られ、存在しています。ズニの人でも簡単に立ち入る事の出来ない領域であり、キバの存在するオールドタウンは今も言語はズニ語のみで、それ以外の言語で話す事を禁止されています。
このような話は私たちにとって、とても興味深いものでした。
なぜ、Don Dewaの作品のようにサンフェイスがインレイのモチーフに使われているのか、そしてこの乾いた大地なのになぜ蛙やおたまじゃくしのモチーフが存在するのか、いままで抱いていた疑問が、ほんの一部ですが、ズニのストーリーを聞くことによって理解できたのは貴重な時間でした。
ズニでは、学校の教育の中にズニの歴史を学ぶ時間があるそうです。そこで子供達は自分のルーツを理解したり、伝統的なポタリー作りを学んだりしているそうです。

サンタフェのショーにいってきました。

先日サンタフェで行われたインディアンマーケットに行ってきました。
サンタフェは街にも多くのインディアンジュエリー屋が軒を連ねており、サンタフェの観光客価格ですが、新しいものから古いものまで豊富にある見ごたえある街です。
そんなロケーションの中行われた今回のショーはジュエリーだけでも300個以上ブースがあり、一日ではとても見切れないほどでした。
今回のビックイベントに、マライカでもお馴染みのゲーリー・リーブスジェーソン・タカラなど、普段はショーにあまり出展しないクライアント達も参加していました。
また、サンタフェはサントドミンゴのプエブロからも近く、普段ショーでは出展の少ないサントドミンゴ族の参加も多数ありました。
ほとんどが白人のお客さんの中、やはり会場はコンテンポラリーに偏っていましたが、それでも私達にとってはいい収穫があったように思います。
ここでの商品は続々とご紹介していきますので、お楽しみに!
ショーでは物販のブース以外に中央のステージで歌やダンスが披露され、訪れた人々を楽しませていました。
ダンサーであるスティーブ・ラランスの息子さんもループダンスを披露していました。スティーブが歌い、それに合わせて息子さんが踊る、親子の共演に会場を沸かせていました。
インディアンジュエリーでもよくあるフープダンサーは、縄跳びの用に器用にフープを跳んだり、いくつかのフープを重ね、イーグルの羽の様に羽ばたかせたりと、動きのある面白いダンスです。
こちらはステージ後のスティーブ達!

ちなみに、今回スティーブはキャストのリングで賞を獲得していました!
そして、こちらがサンタフェの名物”セント・フランシス教会”をバックにした会場の雰囲気です。

ここでニューメキシコの州都でもあるサンタフェという街をちょっとご紹介します。
サンタフェはスペイン系の移民達によって創設されたアメリカ50州の中でも最も古い町になります。サンタフェにはアメリカ最古のものが幾つも残っており、上のセントフランシス教会の聖母マリア像もその一つになります。
ロッキー山脈の南端、標高2000mを越える高地に位置し、西にはリオ・グランデ川が流れています。世界のベストタウンにも選ばれる環境のよいサンタフェはアメリカの「宝石」とも呼ばれているそうです。
開放的なリゾート地として、またインディアンジュエリー好きを楽しませてくれる街だとも思います。

サントドミンゴ族とスペイン文化

先日、サントドミンゴ族のカルバン・ロヴァトの招待を受け、サントドミンゴのセレモニーを見にいきました。
8月4日はサントドミンゴ族にとって、セント・ドミニクの聖誕祭でした。
スペインの入植によって、クリスチャンの文化が融合したサントドミンゴの人々にとっては一年で最も重要なセレモニーの一つになります。サントドミンゴ、この名もスペインがつけたスペイン語の名前になります。
サントドミンゴ族はリオグランデ川流域で発展した部族であり、その川の恵みである貝やターコイズを削ってビーズにし、ヒシと呼ばれるネックレスを作ってきました。
現在ではフィリピン産など、似た雰囲気で機械メイドの低価格のものが参入し、ハンドメイドで時間をかけてつくられる高価なサントドミンゴ族のものはだいぶ下火になってきています。また低価格に押され、最近ではプラスティックのビーズで作ってしまうサントドミンゴの人も多く、カルバンのように、一つ一つすべて手作りでやる職人は10人足らずとなってしまいました。
せっかくの素晴らしい技術なのでとても残念に思います。
こちらはカルバンの作品です↓ビーズを削って作るところから始まります。

さて、セレモニーの話に戻りますが、行く前にインディアン達に”サントドミンゴはかなり暑い”と忠告を受けていました。日本と違って湿度の少ないニューメキシコでは日差しが”熱い”と感じる事があっても、なかなか”暑い”という感覚はありません。ですが、サントドミンゴはほんっとに暑かったです。
そんな中、このセントドミニク祭は朝から夕方まで行われました。
男性の歌い手が50人近く、老いも若きも男女のダンサーが250人、総勢300人もの村人たちが、中央に奉られたセント・ドミニク像に向け、祈りのダンスと歌を捧げます。
地響きにも似た男達の低音の歌に合わせ、炎天下の元、1つ当たり約一時間にも及ぶダンスを何度も繰り返します。
ダンサーには大きく分けて3種類の人がいます。
男性ダンサー、女性ダンサー、そしてカチナに扮したダンサー。
男性は腰にふんどしのような布を巻き、頭にコーンを飾ります。手には”ガラガラ”と呼ばれるマラカスのような楽器を持ち、リズムを刻みます。
それに対して女性はズニ族のような黒っぽいワンピースを着ており、手にはモミの枝を手にしています。
そして、カチナのダンサーは頭にコーンの葉を大胆に飾り、頭から足の先まで白く染め、所々に黒い斑を描いています。一見怖い外見ですが、サントドミンゴの人たちにとっては神聖な存在になります。
いずれも、サントドミンゴらしく、首には貝のネックレスを身につけています。
驚いたのが、中央のテントの中で大事に奉られている、セント・ドミニク像です。装いはフランシスコザビエルのような、クリスチャンなのですが、首にはヒシネックレスがかけられているのです。文化の融合がそこにはありました。
およそ100メートルほどの道をこのダンサー達が埋め尽くし、列をなして踊り続けます。
暑さに見守る観客も体力を使うほどです。
この伝統にか、信仰心に対してか、いずれにせよ一心不乱に行われる儀式に圧倒させられました。
部族の実態はリザベーションのシークレットによって守られ、あまり知られていないですが、それぞれの部族を知ると、また一つずつの商品が違って見えてくるように思います。
インディアンは過去の話ではなく、今もそのスピリッツがちゃんとここにはあると感じられたのが、自分にとっては一番の収穫だったと思います。

街にインディアンが集結!

だんだんと日が短くなりつつあるニューメキシコです。
先週、ここニューメキシコでは夏のビックイベント、セレモニオがありました。
セレモニオは大規模なインディアンのお祭りで、各部族が集まって歌やダンスを披露します。
1922年より始まったセレモニオも今年で第八十八回目を迎えます。
アメリカ全土から部族の代表が集まり、遠くからはオハイオ州やカルフォルニア州からも参加がありました。
およそ1週間通して行われるこのお祭りは、日本でいう夏祭りのような熱気があり、取引先のアーティスト達も楽しみにしていました。
メインの会場ではジュエリーや絵画の物販があったり、いろんなコンテストが行われました。
こちらがナバホの歌と共に行われたダンスのコンテストです↓
英語が話せないお年寄りの為に司会者はナバホ語でもジョークを飛ばしていました。

こちらがパウワウのコンテスト会場です↓
それぞれ煌びやかなご自慢の衣装に身を包み、ダンスしていました。
この日はかなりの強風で砂埃がひどかったですが、そんな事お構いなしで盛り上がっていました。

そして、こちらがこのセレモニオの中でも一大イベントともいえる、各部族によるパレードです。

およそ2時間にわたり、ダウンタウンの道路を封鎖して行われました。
観客の声援に応えて魅せるダンサー達には圧巻でした。
このパレードではミス・部族も参加していたり、ネイティブ・ドクターも馬に乗って登場しました。
一週間近く朝から晩まで続いたお祭り騒ぎも、最終日のナイトダンスで幕を閉じました。
こちらはズニ族のターキーダンスです。ターキーはズニ族にとってシークレットバードになります。

焚き火の明かりのみで照らされた舞台で歌い踊るダンサー達は美しく、浮き上がって見えました。
部族の伝統を今もこうして伝える姿や、それを老若男女問わず見守るインディアン達の姿に感動しました。

お国変われば。

本日は私達駐在員の仕事の一部をちょこっと紹介します。
マライカでもだいぶ扱うアーティストが増えてきましたが、ほとんどは事務所で直接やり取りしてオーダーしております。
現地ではトレーディングポストなどでアーティストのものは買えますが、より日本人の好みに合うものを、また顔のみえる商品を扱いたいという思いからです。
アーティストとは、一年中あちこちで開催されるショーなどをきっかけに、または他のアーティストの紹介で知り合う事が多々です。
本日は日本でもお馴染み、Sunshine Reeves,Gary Reevesの兄弟にあたるDonovan Cadmanが事務所に来てくれたので、その商談風景をご紹介します。(彼もまたSunshineの紹介で知り合いました。)

このように、石を元にそれにあったデザインを起こし、アーティストと一緒に最終的なデザインを固めていきます。
『日本ではこういう方が好まれるんだよ。』と言ったり、
逆に『最近こういうスタンプに凝ってるんだよね』と、アイディアをもらったりします。
お互いに意見を出し合ってデザインを決めるこの時間は、緊張もしますがとても有意義な時間です。
そして、何気ない会話から、インディアンの風習を聞いたりと勉強になります。
今日はふとした事から“へび”の話になりました。
部族によって、または同じ部族でもリザベーションによって解釈は違いますので、これはあくまで一説として受け取ってください。
アジアでは邪気を食べてくれるものとして親しまれている“へび”ですが、ナバホにとって“EVEL”つまり邪悪な存在だというのです。
ある人は車のタイヤにへびが巻き付いていたらので、それ以降その車には乗らなくなったのだとか…。
また、ふくろうも日本では“ふ・くろう(不苦労)”として縁起を担いでコレクションをする人もいますが、ナバホでは不幸を知らせる鳥なんだとか!ちょっと驚きの話ですね。
こうした話は、ドノバンの親世代まで強く信じられていたようですが、時代が流れるにつれて今では迷信になっているようです。
ですが、いまでも信仰心の強いインディアンもおり、私達が気軽にナバホ語で挨拶をする事をも嫌う人もいます。そして、部外者に口外されないシークレットがいっぱいあります。
時代が流れても、それぞれがインディアンとしてのアイディンティティーを持っており、簡単には踏み込めない領域があります。

岩に残された神話

先日ホピ村を訪ねました。
ホピ村は3つのメサと呼ばれるテーブル状の台地で分かれており、それぞれのメサは集落になっています。ホピ村は今でもそんなに近代化されておらず、お店も数える程しかありません。
村人達は日用品などの用を足す為、近くの街に出る必要があります。
もちろん、チェーン店の看板なんかもなく、乾いた台地と土色の家々をみていると、時間の流れをゆっくりと感じます。ホピの空気は非常にドライで、風によって枯れた木の枝が西部劇のように丸まって道を転がっています。
今回私達は、数件のトレーディングポストがあるセカンドメサを訪れました。
途中、観光客も休憩できるカルチャーセンタでジェラルド・ラバベンテマと待ち合わせをしました。
カルチャーセンターでは伝統的なシチューなどインディアンフードが頂けます。
同じフライブレッドでも、ホピのものは柔らかく、かすかに甘いのが特徴です。
ランチをした後、ジェラルドの計らいで“デワパーク”に行く事ができました。
ここは国立公園というわけではありませんが、はっきりとしたペトログリフの残る公園です。
ホピの人達はこの場所をとても大事にしており、道路に行き先案内もなければ、観光客はホピの人のガイドがなければ行ってはいけない場所になっています。
壁には無数のペトログリフが残っていました。ここデワパークならではの、ホピらしい“ホピの神話”に出てくるモチーフがみれたりします。
本来こげ茶色の岩壁らしいのですが、すっかり風化してほとんどが変色して薄くなってしまっていました。しかし、今でもこんなにはっきりと確認できます。

南西部では無数の国立公園があり、そこでペトログリフを見ることができます。しかし、柵っで保護されており、こんなにに間近でみるのは始めてです。
紙や筆を持たない古代のインディアン達が残した物語を、今もこうして触れる事ができるという事にとても感心しました。
そしてジュエリーやカチナによって表された物語が単なる作り話ではなく、代々受け継がれた神話なんだと感じました。

夏だ!祭りだ!ロデオだ!

ここニューメキシコにも夏のイベントが続々と開催されています。
ダウンダウンでは毎日のように2時間程の公開用のセレモニーが行われたり、一週間通してロデオ大会が開催されています。
今回はそのロデオの紹介です。
ロデオは北アメリカ発祥の家畜、主に牛や馬を使った伝統的なスポーツになります。

その種類は実に幅広く、
・暴れる雄牛や馬に乗ってタイムを競うライディング
・馬をどれだけ早く正確に走らせるかを競うレーシング
・乗馬しながら牛をロープ捕まえるローピング
などなど様々です。
今回私達をロデオのイベントに連れて行ってくれた、スティーブ・アルビソもローピングを趣味で行っています。
彼の練習してるローピングは二人一組で乗馬しながら縄で牛の角と脚を捕まえるというものです。
いつか甥っ子と組んで大会に出るのが夢なんだと、嬉しそうに語ってくれました。
もともと狩猟をしていたナバホの人達と馬や牛はとても繋がりの強く、規模は小さくなったものの、今もなお、各家庭で飼っています。
それぞれ、ウチの馬はここがいいんだ!と遊びに行くと馬自慢が始まります。
カーボーイスタイルはここニューメキシコでは結構ポピュラーであり、若者たちはすっかり流行りを追いかけたファッションをしていますが、おじさん達の中ではまだまだ主流です。会場にはちびっこカーボーイもいて、本当に可愛かったです。
早い子だと5つくらいからローピングを習い始めるそうです。街にはロデオを習える所もあるそうです。
イベントではそのちびっ子カーボーイの見せ場もあり、ローピングをする子もいれば、牛ならぬ羊に乗ったりする子もいます。
大人のマネ事のようで観ているこちらは可愛く笑ってしまいますが、本人達は至って真剣、終わりの挨拶も一丁前です。

インディアンも大好き、ロデオはここニューメキシコならではのスポーツだと思います。
そしてこのような老若男女問わず、家族で楽しめる娯楽というのが素敵だと思います。日本ではだいぶ少なくなりましたが、インディアンの家庭では今もこうした家族ぐるみの行事がいろいろとあり、なんだかんだ団らんの時間が多いです。